練習試合が終わって、片付けも粗方終わった。
自主練をする者は、ついに自分だけになったかと思ったとき、黒子が、そこにいたことに気付いた。
ただ、ボールを抱いているだけで、何をするでもない。
ぼうっと、石像のように突っ立っていたのだった。
思わず、何をやっているのだと声をかけた。
考え事です、と答えた黒子に、今日の試合での違和感を思い出して苛ついた。
ボール回しにいつものキレがなく、フットワークも重々しい。
それで、今日は様子がおかしかったのか。
…。
馬鹿らしい。そのようなことを考えて調子を崩すぐらいなら、大人しく練習でもしていればいいのだよ。
使えなければ外されることはお前もわかっているのだろう?
ならば、それぐらいのことはしろ。
余計なことを考えて、使えない人間をチームに入れておくほどここは生易しくないのだよ。
…。
黒子は、答えなかった。
更にイラついている自分を自覚しながら、言葉を重ねる。
お前は1軍を下されたいのか?
…いいえ。
なら、しゃんとしていろ。中途半端なプレイをされては迷惑なのだよ。
できないのならできないと言え。お前は影なのだろう?ならば、必要以上にでしゃばるな。
お前の勝手に、皆がつき合わされるいわれはないのだよ。
…。
黒子は、黙っている。
思い切り舌打ちしたい気持ちで、黒子を睨んだ。
暖簾に腕押しだ。
何を言っても、響く気がしなかった。
だからこそ、ここまで言えるというのもあるが。
ただ最善をつくすということが、なぜこいつにはわからないのか。
不思議で仕方がない。
何度も議論を重ねたが、結局噛み合うことはなく今に至っている。
他のキセキは、もはや最善を尽くす必要もないほどに強い。
けれど黒子は、そうではないはずだった。
がむしゃらに、縋り付いてこの地位まで上り詰めたはずだった。
それなのに。
あまりにも反応がないので、諦めて息をついて踵を返す。
何を言っても無駄だと、言い聞かせて。
しかし、その足はすぐに止められた。
黒子が、俺を呼んだからだ。
…どうした。
お願いします。もっと。…もっと、言ってください。
驚いて、黒子を見つめる。
こんな返しは初めてだった。
黒子は、こちらを見てはいなかった。
どこを見ているのかわからない、虚ろな瞳で、ただ、立っていた。
その表情が、いつもの黒子からは想像もできないほどに疲労の色を滲ませている。
いや、これは、疲労ではない。
戸惑いか、苦痛。
どうしたらいいか困窮し、迷っているような。
………お前は、マゾか。
思わず、あまり好きではない単語を使っていた。
それでも、場の空気は変わらなかった。
黒子はそのままの調子で返してくる。
いえ。でも、今は。
……黒子?
お願いします。君だから、頼んでいるんです。
黒子は、俺を見ていない。
それなのに、それが悲愴なまでに切羽詰まって聞こえて、何故か、背筋の冷える思いがした。
……お前は、馬鹿なのだよ。
はい。
…自分の分をわきまえろ。できることとできないことを知れ。それに徹すればいい。
皆がお前に望むのはそれだけだ。
…はい。
でしゃばるな。お前が倒れたところで俺たちには何のプラスにもならん。
お前にできることなど、たかが知れている。
はい。
青ざめた顔で、流れる汗を拭うこともせず。
黒子は、恐ろしく単調に、機械のように相槌を繰り返す。
黒子がどこを見つめているのか、俺には、分からない。
見つめれば見つめるほど、黒子の姿がぼやけていくような気すらした。
黒子は何もしていない。
そこにいるだけだ。
そこにいるだけで、揺らぎ、薄れていく存在感。
衝動のままに腕をつかむと、黒子は驚いて緑間を見上げた。
ようやく表れた人間らしい表情に、少し安堵する。
しかし、この状況はどうすればいい。
いきなり手を掴んで、何をしようというのか。
少し考えて、言葉を絞り出す。
…今日は、もう休め。…お前らしくもない。行くぞ。
返事を待つこともせず、ボールを拾い上げ片付けると、体育館を後にした。
靴を履きかえる際にやっと手が離れたが、細く、冷えた感触が、まだ、手のひらに残っている。
黒子は黙ったまま、後をついてきた。
すみませんでした。
着替え終え、帰るときになって初めて、黒子は口を開いた。
表情にも声にも、いつもの力はない。
どうすることもできず、再度行くぞと声をかけて、歩き出した。
自分を、こんなにも無力だと思ったことはなかった。
俯き、黙り込む黒子に、かける言葉一つ、ない。
じゃあ、これで。
分かれ道で、黒子は、掠れた声で呟くように言った。
ああ、と答えて、立ち止まった。
黒子が、俺を見ている。
何か、言わなければいけないと思った。
けれど、何を言うことができようか。
硬直したまま、少しして、黒子が今日はいろいろすみませんでしたと言って、踵を返す。
その背を、ただ、見つめるしかできなかった。
黒子は振り返らなかった。
その時、おぼろげにながら俺は感じていたのだと思う。
もう、終わりが近いことを。
俺たちは、もう、駄目なのだということを。
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